好きの境界線。愛情の傍ら。


好き。そう、好き。
誰かを愛するということ、誰かを想い慕うこと。
とっても安らぎのある空間。人間がそれ無しに生きていけない感情。

いつかは傷つくかもしれないという曖昧で繊細な感情を、人と共有する強さが私にはまだない。
大人になれば、現実と比較しながら寂しさからの孤独に逃げるように、愛をさがす。人も、いる。
愛とやらの真実はひとによってまちまちで、私の経験した愛は、浅はかで揺るぎないものだった。
脆くて簡単に崩れた。きっと綺麗過ぎて持ちこたえることが出来なかった愛だった。若さ故の恋かもしれない。

大人になって気付く、愛の存在、現実との境界、その中で見つけ出していくささやかなもの。
まだ若造だから多くは語れないけれど、大まかにいえば、愛とは、許すものだと思っている。
踏み込めない愛情、揺るぎがない愛情、相手を尊重する愛情、どれも許容していかないと、育むことは出来ない。
だけど許すという固定観念だけで人を愛することが出来るかといったら、それはNGだ。
社会面子を気にして愛を語ることだって、真だ。生きていくためにはそれだって真である。
愛とは満たすものなのかもしれない。

満たされたいという気持ちは、全てを支配されている様な気がして、怖いと思う部分がある。
大人になれば気付くだろう。その欲求から、人を求め、愛に縋ってしまうという事を。
実に脆く、儚く、だけど決して陳家で安っぽくない。それが、術であり、生きた心地のする形だから。
寂しいものかもしれないけれど、愛なんていうものは、同情だけじゃ生まれてこない。
だからきっと苦しむのかもしれない。

好きな人がいる。そんな単純なものが、どれだけ生きる揚力を高めただろう。
過去からくる、馴れ初めにしか見えてこない、些細な好きなのかもしれない。
それでもその好きが、生きることを強くしてくれた。それだけで、答えなのだと思った。

私には経験したこと無いような愛が、歳を重ねてくる度見つけ出してくるだろうと思う。
怖いけれど、不思議とそれが楽しみだ。私にはどんな愛が詰まっているのだろうか。
色々な人間がいる。だから人の見方だって人それぞれ。その中で自分を定め、選択し、人は生きることに縋る。
そういったこじれた現実の中で、私は、模索しようと思う。
見えない愛に寄り添って、愛を確かめるように。