青い空のような


どことなく感じていた境界線を、自分で叩き割って壊した。
不器用ながら、器用に演じていくその素振りに、罪悪感を感じたから。
奔放に生きる私に、一体何を得たかったのか。それは、今でもよく分からない。
素直に生きることが足りなかったのか、リアルを追求して、もっと強くなりたかったのか。
きっと時間が急かした。
本当のことを言うと、過ちにしか思えない。なんで私が。って思ったりもした。
ただ、目の前のことが怖くなって、私がここにいるという”とん”としたものを、放棄した。

情報は多様化され、たくさんの人に挟まれて、私はいつまでもここにぽつんと佇んでいる。

まるで海のような青い空と、雲にちょこっと覆われた居場所で、私はここにいる。
埋め合わす孤独を縫うように、その中から過去の労りを慰めるために、ここにいるのかもしれない。
それでいる事に後悔だってしてしまいそうだったけれど、この流れる時間が、どことなく居心地を感じさせる。
現実と空想の狭間で生きていっているとして、見つけられたものは、感情論で答えられる曖昧で勝手な理念。
その理念さが、とても愛しくて、私はきっといつまでもここにいるんだろうと、思う。

壊れた時間を、縫うように纏っていく世界に辿り着いたとして、何が見えてくるのだろう。
きっと、この曇った世界の中で、希望とか、愛とか、安らぎとか、温もりとか、そういうものを見出すのだろう。
まるで世界を美化していくかのように、輝きが欲しいとねだる様に、。
とても不思議で、滑稽だと思って、そしてまた、縋る。
それでも受け止めてくれる人がいるだけで、私は支えられている気がする。だから、ありがとうって言いたい。
こうして居場所であり続ける場所があって、ありがとう、。って、言いたい。